諸行無常

変化する時代を見届ける目

カラーからセピアへ

—この世の森羅万象はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができない—

時の流れは普遍的だが物事の流れは変動的だ。しかしながら人の記憶は消失作用を生じない限り見たままの景色、体感したままの経験をそのままの姿で保持しようとする。例えば過去に大切な人を亡くしたとしよう。基本的にはその人の最期の姿が記憶となり、記憶の中では時が流れずにそのままの姿で残る。

「とうとうあの人の年齢に近づいてしまった」というフレーズは、記憶の世界において歳を取らないことへの裏付けであろう。

それは景色も同じ。自然界における景色は変動的だが、人の記憶における景色は普遍的だ。だから目の前に広がる高層ビル群を見て「かつてここには浄水場があった」と振り返ることができる。おそらく記憶の中でこの景色が生き続けるとするならば、すでに目の前の景色はカラーからセピアへと変容したと言える。

老兵は語らず

過去に友人と廃墟に訪れることがよくあった。それは決して廃墟のオカルト的な面ではなく、そこにはかつて人の生活があったであろう痕跡を見つけることに魅力を見出していたのだ。自然に侵食されていく景色のなかで、周辺に散りばめられたオブジェクトの数々が人々の物語を閉じ込めている。

まるでゲームの世界における吹き出しのように、近付けば色づき遠ざかれば色を失う。誰かの物語を覗き込んで見えてくるのは微笑みだろうか、悲しみだろうか。夕焼けに染まる空は安らぎの赤なのか絶望の赤なのか…。それらを見届けるオーディエンスたちは今日も物言わずにこの世界の成り行きを見届ける。

1億光年先の世界

200年前の人は空を見上げ、この広い世界の先には何があるのだろうと考えた。

200年後の人は空を見上げ、この広い宇宙のなかで孤独さを感じた。

現代の人は空を見上げ、不安のない安定した世界を望んだ。

今見ている空には上限がない。目には見えないが確かにそこには1億光年以上の宇宙が広がっている。見ている空間は全人類で共通しているが、見え方においては時代背景や社会情勢、科学技術の水準によっても大きく左右されるだろう。人はなぜか二度と見ないと思った景色に価値を付与したくなる傾向があるようだ。

坂道の先はすでに過去の景色…。

砂時計

砂時計の中心を見ていた。まるでブラックホールの特異点のようだと思った。

何かに熱中しているときは時間の流れが速く、暇なときは時間の流れが遅い。

同じ時間しか経過していないはずなのに時間の流れ方は場面によって大きく変動する。

今このときの時間は長いが過去を振り返れば14年も仕事を続ける自分がいた。

おそらくそれは過去の記憶そのものを自動的にダイジェスト化しているからだと思う。

長い映画も要約してしまえば数分で終わる。きっと人生も同じようなものなのだろう。

ポツポツと雨が降ってきた。

それらは地面を水玉模様に描き、やがて水溜まりを形成して大地に溢れる。

 

今私が見ている景色は流動的であり、そして普遍的だ

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