東埼玉自動車教習所オフィシャルブログ

咲いてた

ただそれだけ。

わざわざ桜のために花見をする人って凄いよね。

本当に桜が好きなのか、ただ単に集まる動機が欲しいだけなのかは知らないけど、人々は風習にのまれすぎな気がする。

時代は変化をしていくのに風習だけは過去のまま引きづるのは世界共通なのかそれとも日本人の特徴なのか…?

例えば「昔はこうだったんだから今も」という発想は愚か以外の何物でもない。

ファッションだって音楽の趣向だって若い時代に流行っていたものがその人の軸として形成されるから、世代によって演歌が好きだったりロックが好きだったりで変化が生じるのは仕方がない。

それはそれでいいのだけれど、21世紀も21年経過した現代において「演歌は最高だった!今の歌はおかしい!」と押し付けることには難儀を感じる。当然今のJ-POPだって30年後には古臭い時代遅れなものへと変わっていくわけだしね。

言葉も同様。

ネット上では「よろしかったでしょうか?」という言葉に対して「よろしいでしょうか?」が普通では?

といった内容で論争が繰り広げられているけど、歴史を振り返ってみれば言葉が変化していくのは当然の流れ。同じ日本語でも平安時代の人たちと現代の人たちで会話が成り立つわけがない。これは誰かが言ったわけでもなく歴史が証明している。

「正しい日本語を」という発想を否定しているわけではなく、かと言ってどうしようもできない問題であることを伝えたいだけって話。

今から80年くらい前だって

  • 特二数十隻ヨリノ間断ナキ艦砲射撃並ニ 一日延一六〇〇機ニモ達セシコトアル敵機ノ銃爆撃二依リ 我カ方ノ損害続出セシハ痛恨ノ至リナリ

(硫黄島の戦いより)

なんてよく分からない文面がふつうに使われていたわけだからね。

正しい言葉を…という気持ちは分からなくもないが、その言葉自体が100年前は正しくなかったわけだよ。

結局のところ誰かが「おかしい」と言ったところで何かが変わるわけではないし、どうしても変えたければ今から首相官邸に言って菅総理に会って「正しい日本語を発音する法」でも提案してみれば良いと思う。

そこまでしないってことは話題の域を脱していないわけ。

だから解決しようのない問題を延々と提起するよりもどうしたらもっと楽しく生きれるのかを考えたほうが得なんじゃないかって思うのよ。

花見も好きならいいと思うよ、時期的には問題だけど。ただなんとなく「行かなくちゃいけない」という使命感だけで行くのなら、なぜ行かなくちゃいけないのかを考えたほうがいい。今日もコロナで人は亡くなっている。

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